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読書メモ13 からだが悲鳴をあげるまで続ける座る生活(AT1-11)

※茶色の字は本文からの引用または要旨

 

多くの人は働いている時間の半分以上は動くよりも座っています

しかし、小さな子どものうちは、

自分が疲れるか、叱られるか、社会的ルールに縛られるまでは、

動くことをやめません。

 

学校で大部分の子供は、崩れた姿勢で座っています。

胴体の重さが肘と肩で支えられています。

これが、腰掛ける生活の始まりです。

 

おとなになって、私たちは仕事をしている間、

何年もに及ぶ時間を・・座って過ごします。

どのように座るかを考察することは非常に大事なことでしょう。

 

イスの立ち座りをする際にほとんどの人が

あごを前に突き出して座ります。

この頭の使い方が全身の「歪み」を作っていくのですが、

自分がどんなふうに自分の体を使っているか多くの人は意識していません。

 

一旦イスに座ると、姿勢が崩れていくのにまかせ、

人との会話や読書や書き物ができる姿勢に

首や頭の位置を保つだけなのです。

腕と肩は、崩れた姿勢を支えるための突っ張りに使われるのです。

 

なるほど〜言われてみれば確かに・・。

体は置き去り。。

良い位置でバランスを取り続けるということは

こう考えると一番の基礎。

家庭の中?!学校生活の中?で身につけられたら

よいですよね!!!

 

こうして骨で全身を支えるバランスの取れたからだの使い方は

忘れられていきます。

局部にストレスのかかるからだの使い方を

当たり前に続けていきます。

 

人類がそれでも生き残っているというのはほとんど奇跡的なことです。

悲劇的なことは、人々が前よりもそのことについて理解が深まっているわけではないことです。

 

そして、からだが、「もうたくさんだ、もうたくさんだ」というまで、

そのやり方を続け、社会的な仕事に献身するのです。

 

この事はとても悲しいことだ。

ミツヴァインストラクターと生徒さんたちは

こういった事態を変えていくための実験を

 

 しているのだよなあと思う。